黒田高政墓所

付近住所 岡山県瀬戸内市長船町福岡684 妙興寺


黒田公略記
黒田氏はその祖宗清が近江の国伊香郷黒田邑を領したので其れを氏とした宗清5世の孫高政は永正8年(1511)当地福岡に移住し重隆・職隆相継いでこの地の進展と福社に尽し郷民の信頼が厚かった。職隆は播州姫路城主となり子、官兵衛孝高は織田、豊臣両氏に属し備中高松城の水攻や、四国九州の平定朝鮮の役に功があった。
長子長政は関ヶ原の役に家康を援けて筑前52万石に封ぜられ城を築いて福岡と命名した。これは父祖の旧址であり墓もある故この地名を用いた。明治の代孝高、長政父子に従三位を贈られた茲に有志相謀り墓所を修理し之を建てた。